フィルムカメラで撮る写真|impermeable photographie

「おこがましくて」という言葉

2014年12月1日

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「おこがましくて」という言葉をよく言うし、自分でも結構心の底から考えるのだけど、自分のそれは単なる自信のなさだったり、他者から批判されることを避けたいから、遠慮がちにしてるふりをして逃げているだけだということを改めて自覚。結局周りからどう思われるか?というのにものすごい左右されている自分の考え方にいきつくのでした。写真に真面目に向き合っているつもりだけど、結局逃げてることに気がつく。

とにかく、やってやった人が一番強い。それを継続できる人はさらに強い。

とか、そんなことをTumblrで読んだ雨宮まみさんの連載の引用を読んで、そこから元記事を全部読んで、ずどーーーーーんと来たので日記。
特にこの回は全体的に好きです。
「好きで選んだ道なのに楽しくない」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第6回

あとこちら↓は「前向きなシングルマザー」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第4回の回からの引用なんですが

 私は自分のつらさを話したときに、「地球上には飢餓に苦しんでいる人もいるのに、君の悩みなんか贅沢な悩みだ!」と説教されたことがありますが、自分よりつらい例を見て「自分なんてまだまだ幸せなんだ!」と、「下を見て安心する」みたいな思考が健全だとは思えません。「今の生活のありがたみを噛み締めろ」ってことかもしれませんが、もちろん噛み締めてますし、それでもつらいことはあるし、そもそも「もっと幸せになりたい」と思うことの何がいけないんでしょうか。人の悩みやつらさを「贅沢な悩み」だと斬って捨てたい勢が、世の中にはたくさんいるんだなぁ、とよく思います。「自分のほうがもっと苦しんでいる!」と言いたい勢も。


 苦しみや悲しみって、そんなに簡単に他人に「わかる」ものじゃないです。つらい気持ちっていうのは、すごく個人的で、その細部は自分にしかわからなかったり、自分にすらわからなかったりするものです。

まさに普段から考えていることなのですが、なかなか上手く自分の言葉にできなかったことをきっちり文章化してくれてる!感謝!みたいな感じです。めっきり本を読まなくなった私は、インターネットの中で自分の言葉にならない頭の中にある思考を文章の上手な人が書いていてるサイトに出会って、うわーうわーうわーってなるんですけど(2010年になる前のはてな界隈でよく味わい★を何個もつけたりしていました。Twitterだとちょっと文字数が短くてドカーンとくることがあまりなく、最近はTunblrでよく味わう感覚)ひさしぶりにでかいのがきた!という感じ。

「今さら私が言わなくても(ブログに書かなくても)」みたいに思って書かなかったり、書いても公開しないことが多いんですけど、自分の知っていることを他人が全部既に知っているわけもないし、もう少しいい意味で図々しくありたいなーとか思ったりもしたのでした。
私が好きな写真を撮る人ってこういうグダグダしたところが一切なくて突き抜けている人が多くて、それもまたコンプレックスになったりするんだけど、もしかしたらアウトプットしている時点で突き抜けてみえるだけで、自分で既に昇華させたのかもしれないんだよなーとかやっと考えられるようになった37歳の秋です。

気がつけば12月になりました(娘の寝かしつけしたら寝落ちてしまった!)。
先月書いていた日記を読み返して公開ボタンを押す。よくわからない落ち込みがあったのだけど、それを乗り越えようとしていた過去の自分というものを見つけてホッとしてしまった。ぐるぐる回りながら少しずつ進んでいるのだ、きっと(子育てにも絶賛悩み中の週明けの朝…)。

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