フィルムカメラで撮る写真|impermeable photographie

増山たづ子「すべて写真になる日まで」

2013/11/10
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会期が7月27日(日)まで延長されたとのことです!大事なことなので一番上に追記しました。

IMG_5718IZU PHOTO MUSEUMで開催中の増山たづ子「すべて写真になる日まで」をみてきました。
泣きながら展示をみました。
私は増山たづ子さんのことを全く知りませんでした。今回もIZU PHOTO MUSEUMって何の展示やっているのかなー?ドライブついでに行こうかなーという軽いノリがきっかけだったのに、こんなに感銘を受けるなんて!と。自分の無知を恥じつつ、まだまだ知らないことが出会えて嬉しいです。知っていることを深く知ることも面白いのですが、知らないことに出会ったときの喜びを味わえていろいろなことに感謝したくなります。

IZU PHOTO MUSEUMの展覧会情報のページがとにかく詳しく書いてあり写真も沢山のっているので、そちらをご覧いただくのが一番なのですが、少し引用。

岐阜県徳山村で生まれ育った増山たづ子は戦争で夫を亡くした後、村で農業のかたわら民宿を営みながら暮らしていました。1957年、この静かな山村にダム計画が立ち上がり「皆が笑って過ごす天国のガイ(様)」と増山がいう徳山村も推進派と慎重派に二分されます。増山がそれまで使ったこともなかったカメラを手に取ったのは、徳山ダム計画が現実味を帯びてきた1977年、ちょうど60歳の時でした。「国が一度やろうと思ったことは、戦争もダムも必ずやる」と縄文時代から続くという村のミナシマイ(最後)を前に、せめて残せるものを残そうと愛機・ピッカリコニカで故郷の村をすみずみまで撮影して歩きました。

これを読み返すだけで涙が…。モニターが曇って見えなくなるぐらい、一週間前にみた写真とあのとき感じた感情が克明に思い出されて、胸がしめつけられます。

とにかく大量のスナップなのですが、写真にうつるの村のみんなの笑顔か優しく穏やかで、たづ子ばあちゃんの人柄と優しい視線を感じられます。小さな村で長く長く平和に過ごしていたということがうかがえ、それは都市に住む私にはなんだか懐かしいけど非現実な世界に感じられるぐらいです。
もちろん都市の気楽さを享受しながら生きる私にとって、山奥の村という場所は都市と比べたら窮屈だったりすること想像に容易いですし、村の中が推進派と反対派で揉めてしまったということから、おそらく人間関係はギスギスした感じだったと思います(人が3人以上集まれば何かしらで揉めるし…)。しかし写真からはそのような感じが全くなく、村の人々のみならず、ダム建設に反対だったたづ子ばあちゃんが撮ったダム建設の作業員の姿や移住関係の保障のために測量をする人などへも暖かいまなざしが向けられていて、写真をみながらいろいろ考える自分すら暖かく見守られているような感じになるという、なんというか不思議な感覚でした。

そして自分の生活は知らないだけで、様々の人の生と関わっているというような当たり前のことだけど、忘れがちなこと再認識させられました。いわゆる日常のスナップでそのようなことを感じ、歴史の流れを考えさせられるというのが初体験でした。そして日本中でこのようなことがあった(現在進行形でもあることで、もちろん未来でもありうる)ということは忘れてはいけないことだということ。

ビルマインパール作戦で行方不明になった夫が帰って来たら、写真だけ残った、大事な故郷を見てどう思うだろうなー。

私はどういう気持ちで写しているのだろう。何を思ってカメラをかまえているのだろう。言葉にしにくい、こたえのない疑問に対する一つの道筋が少し見えたような気もしています。忘れないように。

増山たづ子「すべて写真になる日まで」 2013年10月6日(日) – 2014年3月2日(日)7月27日(日) ※ご好評につき会期を7月27日(日)までに延長いたします。とのことです!やったー! IZU PHOTO MUSEUM 〒411-0931 静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1 TEL 055-989-8780 FAX 055-989-8783

参考:増山たづ子 | wikipedia

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